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「教育者ネットワーク埼玉」と「教育を考える彩の国県民フォーラム」の合同講演会に出席
保守系の教職員団体「教育者ネットワーク埼玉」と、議員も参加している「教育を考える彩の国県民フォーラム」の合同講演会に出席。
講師はキャリアコンサルティングの若い皆様方です。
「リーダーシップの基礎を身につける」ことを目的とした教育機関で、それぞれの将来像を実現していくためのリーダーシップの基礎を養っていくための環境を用意しており、普段は更に若い人たちの前で、誇りと自信を感じてもらうために、立派な講演を重ねている皆さんです。
つかみもバッチリ!
柔らかく入りながら聞く人の心を掴み、日本の誇りを学ぶための歴史的人物の話を、今回もまた大変上手にお話しされておりました。
「尊王攘夷」の考え方を打ち出し、後の維新の志士たちに多大な影響を与えた、水戸藩の「藤田東湖と明治の源流」というお話。
異国から日本を守るために水戸藩を脱藩して、危険人物扱いもされてしまい幽閉8年の厳しい状況でも、決してくじけず信念を貫き日本を一つの方向にまとめようと努力された話を聞いて、牢屋に入れられるでも幽閉されるでもない今現在、大事を成し遂げるためには、小さな事でくじけている場合では無いと痛感いたしました。
続いて、大東亜戦争末期に前知事が逃げ、沖縄県知事が不在というとんでも無い状況の中、牛島司令官からお願いを引き受け誰も引き受けたがらなかった沖縄県知事を引き受けて沖縄県民の命を守ろうと必死に頑張った「大東亜戦争最後の沖縄県知事・島田叡(あきら)」のお話しも聞きました。
最早、米軍に囲まれ飛行機や船で移動するのも困難になった状況下でも、自らが率先して沖縄県民の食糧難を何とかしようと台湾に渡り半年分の食料を確保し、沖縄戦が始まり、沖縄県民が軍民一体となって必死に戦う中でも、県民には「生きよ」と本島北部への避難を最期まで呼びかけ続けました。
組織的戦闘の終わった昭和20年6月23日以降も、島田知事は危険な状況が続く中、県民に避難を呼びかけ、最後は行方不明となり帰らぬ人となったのです。
最後は、講演を聴いていて涙が出そうになりました。
その島田叡知事がどうして、このような責任感と決っして威張らない犠牲的精神でいられたのかという事については、愛していた野球や、常に愛読書として持っていた「西郷南洲遺訓」の影響が大きかったというエピソードも感動ものでした。
早速、一夜明けた本日、~「新訳」「西郷南洲遺訓」西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え~という本まで買ってしまったところです。
いずれにしても、下手な評論家の講師や議員より素晴らしい若い人達の講演を聴く事が出来、改めて勇気と活力をいただきました。